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初めて海外(US)で働いたときを振り返って


初めて海外で働いたのは、1999年のロスアンゼルス(LA)でした。今も、シリコンバレーでのユニコーン起業などのサクセスストーリーもありますが、当時は、アメリカンドリームを皆が夢見ており、僕もその何とも言えない希望に夢中になった一人でした。 今日は、ローカル採用からスタートした、僕の海外就労経験の1年目を話したいと思います。 1.LAに到着したとき

語学留学をしていたカナダから、職を得たLAに引っ越しました。空港に着いた第一印象は、「空の太陽がまぶしい」でした。 空港からタクシーに乗り、砂埃で霞んでいるHighwayを通って、会社が1ヶ月用意してくれたサービスアパートメントに向かいました。到着して、メーター料金を支払ったら、運転手に罵声を浴びました。今思えば、アメリカでは~20%のチップが普通とのことで、僕は常識を知らないケチなアジア人と見えたようです。 サービスアパートメントの後に、ローカルの人も心配するエリアのシェアハウスに引っ越しました。金曜日の夜は、陽気なラテン系のパーティ音楽が大音量で夜遅くまで流れて、なかなか寝れませんでした。(ヒスパニック移民がほとんどのエリアだった)。 そんなことも良い思い出です。 そんなスタートでしたが、どんなアメリカンドリームに出会えるのか、ワクワクしていたことを20年以上たった今も鮮やかに覚えています。 2.日本と海外のディスカッションスタイルの違い

日本の義務教育から来ていると思いますが、日本人は答えに100%自信を持ってから発言し“正解”するのが褒められる文化です。間違いを答えると咎められることもあります。日本でしか教育を受けていなかった僕は、米国のディスカッションスタイルにショックを受けました。 働いていた会社は、最大手の監査法人。500人規模のアメリカ全土の新人がアリゾナに集められる新人研修がありました。同期は、全米の良い大学を出た、白人アメリカ人の上流階級が大多数。ワークショップ式の研修では、講師が出した質問に、争うように答えていました。僕が発言できるタイミングは全くなく、聞くばかりでした。 すると、あることに気づきました。答えの約半分は間違っているのです。しかし、講師も他の同期も、間違っている答えを非難することなく、そこから深堀りすることによって、みんなで正解を導き出そうとしているのです。

「100%の答えは必要ない。60%でも声に出す。99%合っていても声に出さないと周りから見たら0%と同じ。」 この経験が、僕のグローバル人生の原点の一つになりました。 3.レディファーストは必須

20世紀の日本は亭主関白の時代。また、偉い人が先にドアを通り、席を選び先に着席する、というのが普通でした。 LAで、エレベーターを複数の人が待っていました。ドアが開いて乗り込もうとしたら、知らない女性とぶつかりそうになりました。僕が譲るのを当然と思ったらしく、あり得ないと思ったんでしょう。その女性は、僕を険しい形相で見ていたのを今も思い出します。 レディファースト”というマナーを身をもって学びました。できない男性は基本マナー違反。イギリスではアメリカよりレディファーストは厳しくないですが、ジェントルマン文化でもあり、推奨されています。 皆さん、海外で、周りの信頼を得るためには、レディファーストは、大人男性としての最低限のマナーと心掛けましょう。 4.働くための語学のレベル

海外で、大学も修士課程も勉強したことがない僕は、語学学校では、就職面接を通るため、話す・聞くスキルのレベルアップのみに絞り、読む・書くスキルの訓練をしませんでした。結果、面接は通りましたが、その後ドキュメンテーションに苦労した1年を過ごしました。 当時、少しくらい文法やスペル間違いがあっても、意味が伝わればよいだろうと、思っていました。しかし、上司たちの目が冷たくなるのを感じました。ある時、アメリカ人上司が、僕をプロジェクトに呼んでくれた時、現場で一緒に働いて話しているときは楽しかったし助けてくれたのですが、現場が終わりレポートを提出したところ、文法間違いや意味が分からないので書き直して、という指摘が、100個近く戻ってきました。 ネイティブではない日本人だから大目に見てよ、と甘えていたんだと思います。 そのことを友人に話したところ、「日本で大学出た社会人が、日本の職場で日本語のおかしいレポート作ったら、使えないスタッフと思うでしょ。なぜ晋吾は、アメリカなら許されると思っているの?」と言われて、はっと、気が付きました。 それからは、深夜に残業が及んでも(残業は無給)、スペルチェック/グラマーチェックにこだわり、ようやく上司からプロジェクトメンバーに誘われる存在になりました。 5.勝手な思い違い 日本人が世界で一番働く人種だと当時僕は思っていました。アメリカ人は気楽で夕方5時にはオフィスには全くいなくなると。 これは全く間違っていた偏見でした。確かに階層&競争社会のアメリカでは8割の人間がワークライフバランス、ないしプライベート優先の生活を送っていますが、上位の2割の層は日本人以上に働いていました。時間の長さだけでなく効率を重視しているため、日本人の倍以上のOutputを出している。これがアメリカ経済の原動力だと痛感しました。 確かに5時には会社を退社しますが、子供のピックアップや夕方の地域ボランティア、ビジネス会食をこなし、夜に家で仕事をし、メールもたくさん送られてきました。 勝手な思い込みを信じるより、まずは飛び込んで体験して、自分で肉薄して真実を知る、そんなことを学んだ経験でした。 6.グローバルって最高と思えた瞬間/感動体験

さて、僕がグローバルで仕事をすることを続けたいと思っているか、の原体験をお伝えします。 先に書いた、アリゾナの新人研修の時です。2日目の最後の講義で、講師には今まで僕が全く議論に参加できていないことが気になったのでしょう。「Shingo、答えてみろ」と当てられ、前に出てプレゼンをすることになりました。 僕の頭はパニックです。2日間ずっと英語に劣等感を感じていたので、しどろもどろのプレゼンになりました。おそらくプレゼン内容はほとんど意味を成していなかったと思います。 しかし、終わった途端、教室の皆が“よくやった“と拍手をしてくれました。


僕が勇気を出した“挑戦”に対して、結果ではなく、その“挑戦“を、嫌みなく咎めもなく、むしろ賞賛をしてくれたのです。僕は、そんなアメリカの、挑戦や才能をほめたたえる、懐の深さに、心打たれました。 まとめ 海外では、「勇気と挑戦」が、「逃避や失敗」よりも大きく称えられます。 僕も、緊張することや逃げたくなることがあっても、勇気をもって挑戦する。日本人として自信を持ってグローバル社会で生きていく、ということを決断できました。 20年経って振り返ると、その時の僕に“もっとこうやれば?”とアドバイスしたいことは山ほどありますが、あの経験をしたから今の僕があるか、と聞かれれば、「100%そうだ。僕は幸運だった」と答えます。 グローバルであれ、日本であれ、勇気を出して挑戦する人を、僕は、応援したく思います。



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